風合が優しい会津木綿

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約380年前の天正年間から、会津藩が産業振興のために綿花の栽培を許されて木綿を織り出したのが最初と言われる会津木綿。
白虎隊や野口英世も普段の服は会津木綿が主流だったようです。
昭和には集落ごとに柄が決まっていて、その時代の人たちは着物の柄で住んでいる町村がわかったそうです。
昭和40年代には会津若松市内に3社、塩川町に2社、坂下町に2社、猪苗代町に2社がありました。
今では会津若松市内に2件が残るのみ。
そのひとつ山田木綿では、昭和初期の「トヨタ式織機」を大事に大事に使って織っています。
「今では博物館に飾られてもおかしくないほどの歴史のある織機ですが、
さすがトヨタさんで、部品交換を今でもしてくれます。
だから、今でもこの機会を使っていられるのです」
そういう織機でも1日2反を織るのが精一杯。
機械にはたえず誰かが糸の絡まりや動きを見回っています。
出来上がった反物は縦じまが基本の模様の優しい風合。
昔の集落ごとの柄に加えて今では200種類ほどの模様が折れるといいます。
普段着に使われてきた会津木綿。
荒っても風合が変わらず、作業しても疲れない。
まさに普段着の会津です。
今、見直す素材の一つとして一度手にとってみてはいかがでしょう。

 
 
 

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