津波の被害を目にする。
投稿者: Yokota-2011/03/29-なんでも日記
今日は津波の被害の大きかった南相馬市に行ってきました。
南相馬市は2年間仕事で通っていたこともあり、知り合いの多いところ。
今でも連絡をしてもつながらない人もいて、心配なエリアでしたので
少しでも状況を見てきたいと思い、元気玉のメンバーについていきました。
「津波の被害があったところはひどい」と聞いていましたが
実際に目にすると言葉がありません。
南相馬市の鹿島区にある「香の蔵」さんに行きました。
Iマネージャーが店内のお掃除中。
お元気なことは連絡がついてわかっていましたが
ちゃんと顔を見れたのは震災後、今日が初。
震災時のお店の状況や周辺の状況、
そして、これからのこと。
たくさんのお話をきました。
何より顔を見れてよかったです。
一緒に復興したいと強く思いました。
Iマネージャーが
「海の近くは何もなくなってるよ」とおしゃっていて
近くの海辺にいきました。
広大な敷地のすべてが津波でなにもありません。
テレビでみた津波が家をのみこむ映像が頭をよぎりました。
津波の最先端に打ち寄せられたがれき。
もともとは家や生活道具です。
そして自衛隊の人たちが丁寧に手作業で行方不明者捜索をしていました。
海から一キロ離れた立派な家。一階は壊滅的。
家の土台に残されたお風呂掃除用のスリッパ。片方だけ。
家の生垣が波の力で曲げられ・・・流されてきたコンクリートが止まっている。
このがれきの下にも、まだ行方不明の人がいるのです。
私たちにはできないことを自衛隊の人たちがしてくれています。
福島にゆかりのない人も、深い関わりのある人も
福島のために頑張ってくれています。
道路沿いにあった軽トラ。
後ろは海に見えますが、田んぼです。
田んぼがあったところは海水一面。
カモメさえ飛んでいます。
海に近い山側の地域では
家の形はあっても被害が大きい。
被害は言葉にできないほど。
一階部分がない家。
津波の力でたおれかけた電柱。
もとの位置から押し上げられた家。
しかし少しだけ山の上にある家は被害なし。
この少しの差が大きな差です。
その後、南相馬市の物資支援センターにお伺いしてきました。
行政の方々が対応してくださったのですが
みなさん丁寧!しかも明るい!!
「うちはみんな避難していて家にいるのは私だけ。
家にいるのに自宅単身赴任なんだよー」とか、
「物資はたくさんいただいて間に合うようになりました。
困っているのはー 個人的に納豆が食べたいくらいです 笑」
原発の心配もあるでしょうが、今自分ができること、をまっとうしている南相馬の人々はかっこよく見えました。
3時間ほど南相馬にいました。
念のため帰りの二本松でスクリーニングしましたが全員異常なし。
よかったです^^
追伸:
物資配達の相談で南相馬市の市役所におうかがいしました。
お世話になった課長にお会いできて、私がみることができなかった現状を教えていただきました。
「物資はとどけていただいている」
「飼い犬が野良犬化している」
「原発近くの状況」など。
そして、
「地震が来た時に、海の仕事先に向かった部下がいて、
そのまま車で流されてしまった。」
「海水が引かないところは2mくらい土壌がつもっていて
その中にまだたくさんの人がいるんです」
南相馬市の行方不明者がいまだに多い理由がわかりました。
南相馬市の市役所市役所周辺はまったく影響はみられません。
でも、すこしはなれた海沿いには未だに捜索している人がたくさんいます。
見つからない人もたくさんいます。
この地域のために何ができるか。元気玉で考えるべきだとおもいました。
会津は本当に恵まれた被災地です。
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