地域密着型インターンシップ研修

地域活動インターン生を受け入れている宿や施設ごとの活動日記です。

 日報一覧

 

舞台

宗助

06:00-10:00
朝食接客
14:00-19:00
ラウンジ業務

瀧の湯には能舞台がある。
演劇の三要素として、「一つの情熱、二人の人物、三つの壁」があると聞いたことがある。
三つの壁とは舞台のことを言うらしい。
見えないものを見ること。それが出来れば、壁が三つあれば十分だ。
それとは反対のものとして黒子(くろこ)があげられる。見えるものを見ない。
もう一つ、谷崎潤一郎『陰影礼賛』には、「見えないものは無いものであるとする」とある。

要するに、同じものを見ても、同じように見えていることはないということである。

[写真]
郷土料理の鶴井筒で撮影。
「穴に向かって叫びたいなあ」
「なんて?」
「王様の耳はロバの耳!」
「穴はもうひとつあるよ」

以上

 
 
 

宗助

06:30-10:30
朝食接客

研修の話をば。
課題作成のためにデータをとる必要があるのだが、研修現場は忙しい。記録だけとり、動かないでいることが許される雰囲気ではない。実際に私も動いてしまうのである。そうなるとデータはとれない。

事実を記録すること、それは暇な人間の仕事である。暇だからこそデータがとれるのである。暇にも価値があると思う。しかし現場は暇であることを許さない。それは当然のことでもある。

課題については違うアプローチをすることにした。

[写真]
幼虫です。食べてます。ごちそうさまです。

以上

 
 
 

地方の個人商店

宗助

06:45-10:30
朝食接客
11:00
私的トラブルに悪戦苦闘
15:00-18:00
問題解決のため市街地へ
→解決済み

会津若松駅から大町通り、神明通り、中央通りと歩いた。西栄町あたりで道に迷った。
スーパーマーケットはそこそこ賑わっていたが、個人商店に客がいない。ドコモ、郵便局、JTBには客がいたが、いずれも大手である。地方経済復興には大資本の参画が必要不可欠の段階にあるのかもしれない。
日が沈むにつれて音に敏感になった。会津若松駅に近づいても、車の音と上空を群れをなして旋回しているムクドリ?らしき鳥の鳴き声だけが賑やかであった。

[写真]
羽金家住宅。
通り過ぎようとすると、猫が呼び止めてくれました。
以上

 
 
 

宗助

06:30-09:00
朝食接客
12:30-13:30
観光
13:30-15:15
資料調査

直江兼続屋敷跡へ。
直江兼続といえば「愛」。諸説あるが、愛は論語の仁愛の愛。英語でいうラブでないのは確かだ(と思う)。
「天の時、地の利、人の和」は諸葛孔明の兵法でみたことがある。
昔の人は古典をよく読んでいたことがわかる。

[写真]
明治時代にはラブを翻訳するのにひねりが必要だったようです。I love you.を漱石は「月がきれいですね」と翻訳したらしい。

さて、写真と何の関係があるのか?

この写真は鶴ヶ城の月見櫓横で撮影しました。

以上

 
 
 

迷える子

宗助

08:15-10:45
お見送り
14:00-19:30
お出迎え

故大山康晴氏(棋士)は、客が見えなくなるまできちんと見送る旅館しかタイトル戦の舞台としなかったらしい。昨日、今日と、私も見えなくなるまでとどまることを心掛けたのだった。
ところで、大山氏はゴルフをしない。知人に誘われて何度かゴルフをしたようであるが、ゴルフの動きは歩くことも含めて、じっとして指し続ける将棋の役に立たないと判断し、それ以降ゴルフをやめたそうである。

[写真]
矛盾。

以上

 
 
 

笑顔その2

宗助

08:30-11:00
お見送り
14:00-18:00
お出迎え

笑顔は技術である。その技術がより要求されるのは見送りのときではなく、出迎えのときである。
相手が笑顔であれば、自分も笑顔をつくることが容易であることは既に述べた。見送り時の宿泊客は笑顔である又は笑顔になる傾向が強いのである。
これに対して、出迎え時の宿泊客の従業員に対する反応は、見送り時に比べて薄い。
見送り時、宿泊客は、宿側のサービスの提供を受けている。その反応を示す手番にあるのである。反対に出迎え時の手番は宿側にある。笑顔で仕掛ける必要があるのだ。これがお出迎え時に笑顔の技術が必要になる理由である。

[写真]
仮にトマトが特産物であるならば、「トマレ」ではなくて「トマト」とすべきである。(冗談です)
道路上で倒れているのは犬です。私ではありません。(本当です)

以上

 
 
 

笑顔

宗助

07:20 瀧の湯視察
11:30 観光

ここ数日、笑顔を意識せよとの業務命令?を受けたため、笑顔について考えるようになった。
自分が笑顔になるのはどのようなときだったかと思い返してみると、それは相手が笑顔であったときである。
いま、同じことを逆の立場で実践する必要に迫られているが、それは容易なことではない。
瀧の湯の従業員の方々を観察してみると、ほぼ全員の方が笑顔である。笑いかけてもらえないと不安になるほどである。
さて私はどうしたらよいだろう。赤ん坊の頃の無意識の笑いを思い出すことはできないものか。

[写真]
「師匠。この景観の要は刈り取った稲と刈り取られた稲、どちらでしょうか」
「両方だ」

以上

 
 
 

商売の技術

宗助

09:00 移動
10:00 生ハム等販売補助開始
16:00 同終了

商品を売る技術について考える。
まず思い付くのは、欲しがっていない人の欲望を喚起すること。これができれば一流である。
では一流以外の人はどうすべきか。答えは欲しがっている人を見つけることである。
ここでひとつの結論がでる。商売は難しい。

[写真]
先客。飛びます。飛びました。

以上

 
 
 

地産地消

宗助

06:50 移動
10:00 生ハム等販売補助開始
17:00 同終了
18:00 解散

環境人類学者の竹村真一氏の仮説によると、知らない土地で発熱したり下痢をしたりすることがあるのは、身体がその土地に適した大腸菌を得るために、不要となった大腸菌を排出していると考えることもできるというのである(私の記憶が正しければ)。

身体は環境に見事に適応することができるが、やはり現に暮らしている土地の食物を食べることが体に最も負担のかからない方法であろうと思う。

[写真]
石川啄木の「雲は天才である」を連想。元気は大切です。
空を撮るためカメラを構えると、小さな女の子がふたり、向こうに走って行きました。

 
 
 

雨の会津若松

宗助

13:00 素材広場に集合
13:30 全体研修
19:00 解散

会津若松は雨であった。
車窓から見える山々も雲に霞んでいた。時折、雲と空とが織り成す横縞模様が、山と空との境界線がどこにあるのか判別がつかないようにした。それは自然の芸術であった。
東北地方に来るのは初めてである。雨の会津も悪くない。

[写真]
素材広場で撮影。赤べこのぬいぐるみです。

 
 
 
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