【歴史・施設】



今、リンゴ専業農家の相良家は、もともと米農家だった。
獣医をしていた祖父が青森に診断に行った際にリンゴ畑を見て「これからは米じゃなくてリンゴだ!」と情熱を燃やしてリンゴの苗を持って帰ってきたのが始まり。

そのリンゴが収穫できるようになった昭和40年ころ、リヤカーにリンゴをのせ坂下町内や隣町まで引き売りをしていたという。
その後、貨物の搬送が発展し関東への出荷が始まった。
流通の革新である。
それでもその当時お客様の手元にリンゴが届くまで、一週間ほどかかっていたというから驚きだ。
地域の素材が新鮮なまま全国に流通することがいかに難しかったかがわかる話しである。

物流が整ってきた平成元年になると基盤整備が進み、田んぼを徐々に果物畑にした。
リンゴの生産量を増やしつつ、他の果物の生産も手掛け始める。
多品種生産はとても手間がかかるものだが、四季を通してお得意様に旬の果物を届けたいと少しずつはじめて今に至る。
丁寧に作り、美味しいものを届けたい、という気持ちは何年たってもかわらない。

【生産者情報】


何よりもお得意様との繋がりを大事に思っている相良さん。
リンゴを販売しはじめた頃から味の評判がよく、販路拡大は食べた方の口コミ。
買った人が知人に教え、贈り物として贈られた人からは美味しいからと直接注文をいただき徐々に広がっていった。
今では県内より関東のお客様が多いほど。
味が認められ広がってきた口コミの輪。相良さんのリンゴの美味しい証拠である。

何年か続けた時に、リンゴの販売で仲良くなった方とリンゴの季節だけでなく、年間を通して繋がりを作りたいと考え、
季節ごとにお得意様に旬の果物を送ればいい、と考えつき取り組み始めた多品種生産。
せっかく仲良くなれたのに1年に一度の交流ではもったいない、と思ったことがきっかけだ。
リンゴ畑の隣で桃やサクランボを作ったりと年間を通して果物を育てるのはとても忙しい。
「忙しいけどね、お得意様と繋がっていけることが喜びだ」と笑顔で話してくれた。

農園の後継

相良さんの息子さんは福島県福島市で果物の研究をしている。
ゆくゆくは会津に戻り農園を告ぐと宣言している。
しかし相良さんは少し不安。
「今はお客様からの注文があるが、この先福島県がどうなっていくか先の見通しが立たない。
このまま息子に農園を継がせてもいいものか。」
風評被害が広がる中で果物農家としての不安がつのる。
さらに今まで育ててきた果物の木々や、お客様との繋がりが途絶えてしまうのではないか、と思うだけでとても悲しい気持ちになってくるという。
後継者問題はいろんな業界で聞く話だが、今回の震災でおきた風評被害が今までにない形での問題として表れてきた。
一つの農家の課題は会津全体の課題でもある。。

震災後の一通の手紙

毎日のように報道や情報の錯綜により福島県全体の風評被害が広がっている。
相良さんも日々悲しく悔しい思いをしている。。
そんな中、相良さんへお得意様から手紙が届いた。
手紙にはねぎらいの言葉や励ましの言葉が綴られていた。
感謝の気持ちでいっぱいになり、「こんなことには負けていられない。今年も美味しい果物をつくるぞ!」と心に決めた。
他にも全国のお客様から頑張れの声をいただいた。
福島の素材を避ける人もいるが、中には福島を応援する人がいてその活動が
日本中で盛り上がっていることにうれしくて涙が出るという。
応援を受けてやる気を出している相良さん。
福島県人は県外からの応援を聞くと嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいになる。
相良さんもその一人だ。
お客様から直接手紙をいただくほどのつながりを持っているのは
大切にしてきた相良さんの人徳がなせることだろう。

【東北大震災の影響】

福島と言うだけで購入を控えるお客様もいて、お得意様へ手紙を送り農園の現状と県の検査結果により安全安心であることをPR。
よりそれにより例年よりも注文の多かった果物もあった。
しかし、リンゴの収穫はこれからが本番。
応援ムードがすぎた秋以降が本格的に厳しいといわれている。

【応援商品】

相良農園の100%りんごだけのりんごジュース!
りんごの各品種の旬の時期にもぎとった新鮮なままをびん詰めしました!
ですので、りんごの品種ごとの味、香り、色などがそのまま楽しめる。

【MAP】

河沼郡会津坂下町五香道上5