【歴史・施設】



創業1850年嘉永3年。ペリーが浦賀に入港する三年も前からの老舗である。
以来、酒造業を本業とし昭和30年までは秤の製造販売も行っていた。
明治39年に末廣酒造嘉永蔵周辺180戸ほどが燃えてしまう大火にあい、現在喫茶店として営業している蔵を除いてすべて消失してしまった。
その後建てた蔵はトラス構造のしっかりした造りで復活。
そちらも建築学の学生が見学に来るほどの歴史的建造物だ。

【生産者情報】



末廣酒造は先進的な取り組みにも積極的。
例えば、大正初め4代目新城猪之吉が酒造技術者の最高権威、嘉儀金一郎を招きいれ、日本酒伝統の「気もと造り」の山卸作業を廃止した試験醸造を行った。
これが今の「山廃仕込み」のきっかけとなる。
つまり末廣酒造により山廃仕込みが世に広がったのだ。
試験が行われたのは現在の蔵ギャラリー「嘉永蔵」。
そう思うとこの蔵は末廣の取組を見守ってきた蔵なのである。

こんな話もある。
今ではバラエティー番組などで定番となっているかぶりもの。
テレビでもみなかった昭和24年(1949年)にセールスプロモーションの一環としてお酒のボトルのかぶり蔵人たちが町を練り歩いた。
当時、とても話題を呼んだセールスプロモーションで、末廣の名前を世に広めたそうだ。
その後、テレビでもかぶりものが流行ったというから影響力は大きい。

また、いち早く酒米の農家さんと契約栽培を始めたのも末廣酒造である。
おいしいお酒を造るためには酒米の品質が重要であると考え、酒米農家をまわった。
米作りに適した会津盆地の中でさらに選ばれた酒造好適米を使い、旨い酒を世に送り出すためのこだわりと言えるだろう。

《酒造りは水へのこだわり》

末廣酒造嘉永蔵の地下にはいくつかの水脈が流れている。
末廣酒造の酒造りのこだわりの水がこの水脈である。
嘉永蔵の入ってすぐのメインホールには、当時使用されていた手堀の井戸がある。
そして、嘉永蔵の入り口にはこの水脈から湧き出る水が一般の方にも解放されており、
取材に行った当日も自転車にいっぱいのペットボトルを積んだ女性が水を汲みに来ていた。
飲んでみた感想はとても優しい、おいしい水だった。
この水が末廣のお酒の元になっていると考えると、この土地にあった理由がうなずける。

【東北大震災の影響】

会津若松市にある嘉永蔵の一部が損。
蔵見学は通常通り行えるが会津若松市指定の歴史的景観指定建造物であるために、なかなか修繕が進まない状況。
商品の流通に関しても一時期お酒を詰めるための瓶や燃料不足により流通が止まってしまったが、現在は応援物産展やイベントに積極的に出展参加し、安全安心の福島のお酒をPRしている。

【応援商品】

末廣酒造には「旨い酒」造りのために自ら課している「地酒三か条」がある。

一、天然の旨い仕込み水
二、伝承される会津杜氏の匠
三、仕込み水と同じ水、仕込み水が湧く大地に育つ酒米

酒作りへの妥協を許さない、熱い思いを持った酒蔵の日本酒です。

【MAP】

福島県会津若松市日新町12-38