地域密着型インターンシップ研修
地域を歩いてお勉強中!インターン生ごとの日記一覧です。
南相馬
2011/09/29-まゆみ
インターン生のまゆみです(^^)/
今日はフィールドワークで、南相馬に行ってきました^^
新潟物産の時、南相馬で宿を経営されているMさんに「現状を見て、これからの日本をたてなおせ」とありがたくもお誘いをいただき、連れて行っていただきました。
出会いって本当に不思議。どこであるかわかりませんね。
南相馬は、地震の被害そこまでなかったらしいのですが、津波の被害を受け沿岸部が流されてしまい大きな被害を受けました。
さらに原発で避難区域20km、緊急時避難区域30km、計画避難区域など5つに分かれてしまい、コミュニティも分かれてしまっています。
バスで会津若松から福島駅まで行き、福島駅から南相馬まで車で連れて行っていただきました。
国道が第一原発から20km圏内につながっているので、道路もJRも繋がらない状態なので、山の中を走りました。
途中、計画避難地域の飯館村を通過しました。
最高に天気がよく、穏やかでのんびりしている典型的な山間地域。
しかし、ほとんどの家のカーテンは閉まり、人影がありません。
畑の草も随分伸びてきているし、ビニールハウスも放置状態。
何を言っていいのか、分かりませんでした。
「夜は気持ち悪りぃ。灯りがねぇんだがら。」と言うMさんの目も寂しかったです。
南相馬に着くまで車の中で、いろいろお話をしてくれました。
Mさんは宿の経営者であり役員やNPOもされている方で、震災が起こってからは、猪苗代で被災者支援の活動を続けられました。
支援を続ける中で、いろいろ感じられたことを話してくれました。
福島は宮城や岩手と違って、先が見えない原発を抱えてしまっている。
だから避難者は復興したら帰れる!と簡単にはいかない。
ずっと帰ることができないかもしれない。そのことをはっきりとは言わないから、保障を頼って何もできない、しない人が多いこと。
「人の本性が見えたぞ。震災にあって。保障を頼ることしか考えない人、独り立ちするぞぉって頑張る人。俺も動かなかったらどうなっていたか分からない」
この1ヶ月で、私もいろんな人を見てきましたが、少し乱暴だけどストレートなMさんの言葉からは生々しさが伝わってきました。
原発事故、起こってしまったものはあれこれ言ったってどうしようもない。この先、どう生きていくかが重要になっていくんですね。
南相馬で、津波の被害を初めて目で見ました。
ぐしゃぐしゃになった車、中身がない家。
どこまでも広がるような平地は、一見、何もない感じですが
「津波が全部持っていって、この平地なんだ。家の基盤も残ってないところもある。どこに自分の家があるなんてわからねぇべ。」
本当に広かったです。
津波の爪痕は、垣間みられる程度でした。
途中、道の駅に寄った時に、センターの職員さんが
「今年はこんなですけど、来年は観光復興がんばりますから!」
と笑顔で言われていました。
会津は目に見えない被害が多いですが、
南相馬、飯舘村などの被害は誰か見ても一目瞭然で
そんなひどいものを見たことがなかった私はショックでしたが、福島にいる間に見れたことは非常に大きいです。
仮設借り上げ住宅の避難者への物資を配るセンターにも連れて行ってもらいました。
ボランティアの方にお話しを聞きました。
ここでもいろいろ考えることが。
南相馬の視察は本当に深く、まだ整理できてないこともありますが、福島に来ている間に見れてよかったです。
Mさん、ありがとうございます!
本当にお世話になりましたm(_ _)m
→→→写真、ケータイで撮るの忘れちゃった(^^;)